田口

新潟から来た東京の大学2年生

小5のキャンプ

小5の夏に課外活動のような形で学年でキャンプが開かれた。確か一泊だったと思う。教育実習生も一緒だったのを覚えている。そしてほとんどなにをしたのかは覚えていない。だが一つだけ鮮明に残っている記憶があるのだ。

お昼ご飯にみんなでカレーを野外で作ろうということになっていた。みんなで火を起こすところから始めて、お米だってキャンプ専用のメスティンの道具で炊いていた。そのアナログな感じが自分にはすごく新鮮だったのを覚えている。工程とか、自分が何をして誰が何の役割だったかも、まず誰が自分の班だったのかも覚えていない。しかしみんなで苦労しながら作ったカレーだった。

晴れた日の木陰でみんなで手を合わせた。

そんな中自分の記憶に刻まれる出来事が起きたのだ。あの教育実習生とのやりとりを忘れもしない。

カレーはさぞかしおいしかったのだろう。自分たちの苦労もカレーの旨味の一部になるのだ。そんな中、一人の教育実習生は自分にこんな会話を持ち掛けたのだ。

「夕飯でカレーとか出てくるの?」

「うん」

「お母さんが作ってくれるの?」

自分の家は父方の祖父母と一緒に二世帯住宅というかたちの住まいだった。両親は共働きだったし、夕飯は祖母が基本的に作っていた。

「いや、おばあちゃんがいつも作ってる」

「おばあちゃんのカレーとこのカレーどっちがおいしい?」

「このカレーかな」

笑いながら「おばあちゃん泣くよ」

 

 

今改めて考えると、おばあちゃんのカレーとこのカレーどっちがおいしい?の時点で自分は詰んでいたのだと思える。もしかしたら夕飯の話題になったところからかなり厳しい局面だったのかもしれない。羽生善治ですらこの局面には顔をしかめるかもしれない。

そして祖母のカレーはおいしい。これだけは声を大にして言いたい。

小5の自分は決してませていたわけではないし、物事に対してどれほど深く考えていたのかもわからない。しかしこの場面で、小5ながらもかなり頭を回転させていたのだ。もしも仮に、おばあちゃんのカレーがおいしいと答えていたとしても、苦労して作ったカレーと仲間たちの前でそれは適切な発言とは言えない。その場の空気と数秒のみんなの沈黙で、カレーごと冷ましてしまっていたかもしれない。ここは、今いないおばあちゃんを犠牲にするしかないという決断が当時の自分の最善策だったのだ。

今なら、「このおいしさとはまた別物ですよ~」や「意地悪な質問やめてくださいよ~」と華麗に回避できたであろう。しかし、小5の心はとにかく純粋で、どっちかと聞かれたらAかBでしか答えることができないし、Doで聞かれたらYesかNoでしか答えることができないのである。それが小学校5年生である。

それを踏まえた結果、この会話は教育実習生による一種のテロ行為であると考えられる。そう、飯テロだ。小5のキャンプでの飯テロだ。

これを書いている今現在の時刻は、午前2時。そしてカレーを巡る内容。そう、飯テロだ。