田口

新潟から上京した大学生のボヤキノート

将来のエンタメ

このブログの投稿を開始してから1年が過ぎていたようだ。

さっき気づいた。

正直、一つ一つの日記に対してのカロリー消費は結構なものだ。しかしながら毎回楽しみつつ、毎度日本語の繊細さに苦戦しながら、決して頑張らずに不定期だが続けることができた。

数えていないがおそらく投稿数は20を超えているのではないだろうか。

褒めてあげたい。

今日は僕が日記をつけている理由について記しておこうか。

たくさんあるのだが、簡潔に言うなら、歳を取るのが怖いからだ。

これだけ言われてもすぐ腑に落ちる人は少ないだろう。以下のようになる。

若いと言われる10代20代の自分を未来に残しておくため、とでも言っておこうか。

おっさんになるのが嫌で、高齢者と呼ばれる世代に含まれるようになるのも辛い。

だから少しでも今の"若い"自分を記録しておく。それを未来の自分が後々見返すのも悪くはないと思う。

きっと日々ここに吐いている戯言や、自分を鼓舞するために並べられている文章たちが可愛く見えているに違いない。

それとも歳を取ってもなお、日常の風景に茶々を入れているのだろうか。

仮に一時的に若返ったような錯覚に浸るために、未来の僕がこれを読み返しているのだとしたら是非答え合わせをしてみて欲しい。

この行為について、悪く言えば、これはデジタルタトゥーであり、ある側面からは黒歴史とも呼ばれるかもしれない。

しかしデジタルタトゥーという名の大きなエンタメを将来に残しているとも取れるだろう。

1番の目的はこんなところだろうか。

もちろん僕の健康が続く限り日記は続けるつもりだ。

ブログ一件一件で毎回100点を出そうとは思わない。

60〜70点でいい、ある日は30点でもいいのだ。

続けていれば、ある日120点が出るかもしれないし、前まで60点だったものが後々見返したら90点に見えてくるかもしれない。

今の自分の心理を、その時の僕が精一杯文章化してみる。

その積み重ねが日々、人間としての厚みになっていくと信じて。

言葉遊び

僕は偉人の名言や詩を読むのが好きだ。モチベーションを貰えたり、日本語の美しさに改めて気づかせてくれるからだ。

そこで自分もたまに短文で詩を考えてみたり、格言的な物をメモに記しておいたりする。

そうすると、自分の抽象的な価値観が言語化されて、言葉を立体的に自分の中に落とし込める。

だからやっぱり文章は好きだ。

しかし今日は批判的な形である名言を考察してみる。天邪鬼なものでね。

こんな言葉を聞いたことはないだろうか。

"明日死ぬつもりで今日生きろ"と。

この一文はポジティブに捉えると"1日1日を全力で歩んでみよう"となるかもしれない。

しかしもう少し現実的に考えてみて欲しい。

自分がもしも明日死ぬのなら一体何をしでかすのだろう、と。

おそらく自己投資はしてももやは意味がないと思うだろうし、将来のために継続的な努力をすることもない。

きっと、"最後なんだから"的な感覚でおもっきし犯罪に手を染めるし、嫌いな奴を殴ってもみると思う。多分バイトも行かないし、友達と会う約束も守らないと思う。そのほかにも重大なことに数多手をかけるのではないかと思う。

そう考えると、"明日死ぬつもりで今日生きる"は現実的に考えて少し無理がある。

だからこれに似たもう少し柔らかい名言を考えてみた。若い人に限定する物だが許して欲しい。

"早死にする覚悟と共に暮らす"

これは、自己投資や毎日してきた継続的な努力を断念する理由にもならないし、むしろ行動するなら早めにやっておこうと前向きに自分を奮い立たせられる。

程よい危機感背負いながら、心地よいストイックさで自分の生に向き合える気がする。

それに決しておじいちゃんおばあちゃんになった時のことを考えるな。と言っているわけでもない。あくまで可能性の話をしているからだ。

みんながこの一文をどう感じ取るかは好きに考察して欲しい。

そして最初に提示した"明日死ぬつもりで今日生きろ"がよくない名言と一口に言いたいわけではない。捉え方によって言語はフレキシブルに形を変える。

僕はただ単にそういう言葉のねじれで遊んでいるだけだ。

だから僕が考えたこの名言を多角的に捉えて、いろんな角度から肯定や否定をしてみて欲しい。

僕が仮におじいちゃんになった時に、この文章をどう捉えるかが楽しみだ。

だから今は死にたくない。

シドニー留学1週間目

シドニー留学を開始して1週間が経過した。

僕の現在の英語力をわかりやすく説明すると、出川イングリッシュに少し毛が生えたくらいだ。

とりあえず文法や正しいアクセントはさておき、ネイティブにどれだけ情報を伝えて自分の言いたいことをくみ取ってもらえるか、それらに尽力を注いでいる最中だ。

よく耳にするフレーズや、ネイティブがよく使うイディオムから実際に口に出して使ってみる。

実際にしゃべる。それが相手に初めて伝わる。ちいさな達成感。その経験が口に出したフレーズを僕に記憶させてくれる。次にまた新たなフレーズを使ってみる。

このサイクルが徐々に言語を自分のものにしていってくれる。

映画、ホームメイト、言語学校の先生、ライアン鈴木。様々な模範の英語を日々雨のように浴びていると、”このフレーズ便利だな”とか、”これ次使ってみるか”など、モチベーションが生まれてくる。

とりあえず僕のような初心者はそのくらいラフな姿勢で取り組んだほうがいいと思った。

英語を嫌いにならない。英語話者を怖がらない。これらがモチベーションの維持に大切だと感じる。

問題はヒアリングだ。

本当に聞き取れない。多くの人が”オーストラリアの英語は少し癖があって難しい。”とか、”なまりがねー”とか言っているが、そういう問題ではないほど僕のヒアリング能力が絶望的であることを実感した。

僕が質問する。相手が応答する。いろいろしゃべってくれているのだろうが僕は聞き取れない。しかし不幸なことに、僕は相槌が得意なのだ。なぜだか、さも相手が言っていることを理解しているような顔ができてしまう。

せっかく尋ねているのに問題が解決できないまま終わる。そしてもう片方は会話が成立しているかのように思い込んでしまっている。こんな醜いことが起こってしまってたまるのか。

とりあえずの1週間の成果はこの程度だ。とにかく現地の人としゃべらなければ。とにかく英語を話す、聞く、という試行を回数こなさなければ。

来週はどうしようか。

オーストラリアにはたくさんのビーチがある。現地のリサーチという体で人に話しかけてでも見ようか。

決してナンパではない。ただの文化交流だ。下心ならスーツケースにしまってきた。

 

 

僕と付き合うメリット

自分に彼女がいないということの理由を、周りの女の子たちに見る目がないからなのではないかと疑って考えてみる。

だって、僕と付き合ったらこんなにも毎日が楽しいからだ。

そこで、僕なりに自分の魅力を最大限搾り出してプレゼンしてみた。

僕と付き合ったら次のようなメリットがある。

1.怒らない。基本的に嫌なことは顔に出さないし、腹がたっても、そのモヤモヤを家まで持ち帰るタイプだと自負している。だから、怒らない代わりに1人の時間は少なからず必要とするかもしれない。そのくらいは許してほしい。

2.優しい。これもありがた迷惑な優しさでも過度な気遣いでもない、その場限りの親切でもない。その良心に途方もない奥行きを感じさせる優しさだ。もちろん君が泣いていたら左胸のポケットからハンカチくらい出てくる。木綿のね。

3.クシャっと笑う。決してニヤニヤでもなく、クスクスでもない。もちろんニチャアでもない。高橋一生のあのクシャっとだ。この武器でどれだけバイト先のお客マダム達の心を掴んできたことか。若い子はさておき。

4.話にユーモアがある。これはこのブログの読者なら一同納得と言っても過言ではないだろう。ユーモアを追い求めているというより、僕にユーモアがくっついて離れないイメージだ。そのうち僕の名前は運動会のスローガンみたいになると思う。"河田凪人〜ユーモアを添えて〜"

5.喧嘩が強い。僕は女の子を守るために日々、君がガラの悪いやつに絡まれた時のことを想像するようにしている。大体バカは利き手の大振りから入ってくる。そこで僕はその一瞬でかたをつける。僕の左頬目掛けて放たれる右手のパンチを屈んで避けつつ、屈むことによるクッションを利用して相手のガラ空きのアゴ目掛けてポーン!だ。ほんで、すぐ逃げる。なんてスマートでかっこいい彼氏なんだ。

6.私生活から自信と余裕が滲み出ている。基本的にテンパってる姿は見せないし、緊張しても早口にならない。居酒屋で店員を呼ぶのも一回の"すみません!"で捕まえられるし、急に外国人に道を聞かれても、スマートな出川イングリッシュで一件落着だ。

7.LINEの返信が早い。

8.筋肉がある。

9.家族との関係が良好。

10.お年寄りに優しい。

11.趣味が読書と散歩。

12.素敵な言葉選びができる。

うん、彼女がいない理由がわからない。顔もハンサムだしね。普通に。

嫌いな接客

残念な接客について語ろうか。

多分みんな上手くやろうとしすぎなんだと思う。

定型分をいかに噛まずに言い切れるか、いかに卒なくこなせているように見せるか。に重点を置き過ぎているのかもしれない。

自分に期待しすぎているのだろうか。

ファミレスとかチェーンの飲食店でたまに見かける僕の嫌いな接客がある。

マニュアルが多分あるんだろう。その定型文をおそらく何百と口に出してきたのだろう。フレーズ自体は完璧に噛まずに伝えきれている。しかし、無表情で感情がこもっているのが全く感じたらないのだ。それによって、発している挨拶と読み取れる感情とのギャップが生まれている。

客側からするとそれはものすごい違和感なのだ。

品物が運ばれた時も同じだ。完璧に料理の説明はできている。無表情で。こちらが余計な私語をはさむ余地も与えてくれないまでに淡々と話している。

そして、"本日はご来店いただきましてありがとうございました。またお越しくださいませ。"

いやいや、絶対思ってねえだろ。

こちらから見て取れる君の表情と、発せられる言葉の意味のギャップが大きすぎる。

こういう接客をされる度にそりゃあ機械にこの仕事とられるわ。と思ってしまう。

飲食店の店員がロボットに代わられたらどうして寂しく感じるのか。

この人間の心理について考えてみようと思う。

お店に入ってまず話しかけてきてくれたのが、人間の店員さんであることで何が生まれるか。

簡単に言うと、"関係性の幅、下心、または可能性"この3つだと思う。勝手に店員さんを20代半ばくらいの女性だと仮定してみるが。一見ただの店員さんに見える彼女にもしっかりとプライベートがあるのだ。

休日は表参道を丈長のコートとスターバックスを片手に友達と歩いているかもしれないし、それが終わったら自宅に帰ってシャワーも浴びる。趣味の文庫本はいつもカバンに忍ばせている村上春樹で、最近はトマトパスタをソースから作るのにハマっている可能性もある。

こうして勝手に私生活を想像するだけで僕はすごく興奮する。

今はただの店員でしかないものの、彼女にとっては日常を彩る生活の一部でしかないのだ。

そこに我々客側は楽しさを覚える。

しかも、こちらが彼女に興味を持って、これからインスタを聞き出すことも可能だし、"ここら辺住まれてるんですか?"と私的な会話に花を咲かせることも可能なのだ。

それは、実際に行動に移さないし、妄想で終わっても良いのだ。なぜならさっきまで勝手に膨らませた想像自体が、彼女が人間であることによって生み出された"深み"なのだから。

しかし、ロボットに変わってしまったらそういった店員とお客さん以上の関係性は決して生まれない。

そこに寂しさとつまらなさを人間は覚えてしまっているのだと思う。

でも、さっき言ったようなそっけない接客をされたらどうだろうか。そんな感じの対応なら、相手が最初からロボットだった方がマシなのだ。

我々は相手が人間であるということで、ある種期待を抱いてしまう。だから、ロボット以下の対応をされた時に、思っているよりも興醒めする。

勝手に人間に期待を抱きすぎている我々も我々かもしれない。でも、こちら側をがっかりさせてしまうような接客は早く機械に変わってしまうべきだと思う。

だから、ファミレスやファストフード店は人件費削減とこれからの人手不足を見越して早くAIの導入を進めるべきだと思う。

ロボットから人間のような深みは生まれない。しかし人間は人にある種のエンタメと期待を与えてくれる。同時にガッカリと興醒めももたらしかねないが。

フリーのレイアップシュート

"案外周りの人は自分を見てない"

この単純な考え方を身につけることがどれだけ難しいことか。

大なり小なり恥をかいたとしよう。一体どんな場面でもいいし、最近あった出来事を思い出してみてもいい。

寝れなかった夜。唇を噛み締めながら踏んだ家路。悔しかっただろう。

しかし、こんなことが言える。

客観視点に置き換えてみると案外大したことない。

これをみんなに納得させるべく、20歳になった僕のボキャブラリーを総動員して言語化してみたい。

君が仮に、大勢がいる道端で思いっきりずっこけたとしよう。大勢の前でのプレゼンで噛み倒したとしよう。

クソ恥ずい。体の内側で熱された何か湧き上がってくるあの感覚。それによって体が痒くなる。

"やってしまった"

僕はこんな感覚を何百と味わってきた。

そんな僕だからこそ今こう語れる。

"大したことない。みんな、案外僕のことなんかより自分自身のことで精一杯なんだ"とね。

自分が客席側にいると仮定してみてほしい。

"やっちゃった人"の顔。多分明日にも覚えてない。なんなら数分後には、頭の中は別の話題でいっぱいになっているのではないだろうか。

つまりそういうこと。周りは案外君1人のことに重点を置いていない。

自分主軸から見える周りの目、周りの景色。それと第三者から見た、たかが人間1人。全く見え方が違うのだ。

だからテンパった時には一回俯瞰で自分を見てみるといい。そして一回間を置いてみる。その瞬間に自分の今置かれている状況が、対して絶望的ではないことに気がつくのだ。

そこから余裕が生まれる。自分への無理な期待とプレッシャーは軽くなる。立ち上がった後に堂々と前を向いて歩ける。フレーズを言い直した後にもう一度饒舌にプレゼンを続けられる。

これがマインドコントロールということだ。"メンタルが強い人"と一口に言われる者は、ただ単に打たれ強いだけなのだろうか。失敗やピンチをどう捉えるか、そういう柔軟な考え方から、彼らはメンタルが強い人に見えるのではないだろうか。

もうフリーのレイアップは外さない。

 

1人対談

ずっと1人でいると、もはや孤独という感覚からすら独立したように思えてきた。

自分でもこの状態の本質はつかめていないが、他人に説明するとしたらどう表現するのだろう。

"孤独と友達だからもう孤独でもない。"

精一杯の言葉遊びをしてみた。

文面ならまだしも、この強がりを日常会話でしていたら、さすがにキツイかな。

でも僕にとって1人は案外寂しくない。

自分自身がずっと話し相手をしてくれるから。

1人の時、僕は基本何をしているかというと、ずっと考え事をしているのだ。無意識的に。

具体的に説明してみようか。

さて、僕の頭の中は常に脳みそが大騒ぎしている。朝起きてから、夜眠りにつくまで。

もしかしたら寝ている間も僕の頭はナイトクラブのようなもので、その中で脳みそというパリピがバカ騒ぎしているのかもしれない。

だからかわからないが、僕は睡眠時間を普通の人よりかなり要する。10時間くらい寝れたらいいなと毎日思う。それは現代人みんなそうか。

昼間にウトウトすることはほとんどない。だってずっともう1人の僕が僕に語りかけてくるから。

授業中に爆睡している仲間がいると羨ましくなることもある。つまらない授業も一度突っ伏してしまえば一瞬で終わりのチャイムがなってくれるんだから。

僕が突っ伏しても眠りにつくことはない。

頭の中で脳みそが大暴れして、睡魔が襲いかかってくる余地もないのかもしれない。

かといって、普段画期的なアイデアが浮かびまくっているわけではなく、哲学者になりたいわけでもない。ニュートンのようなひらめきが起きることもないし、ミルクボーイみたいな革命的なネタが思いつくわけでもない。

いっつも何考えてんだろうな。今日はずっと最近したエッチについて詳細に思い出そうとしていただけだ。

 

そろそろこのお店も出なければ。

さあ、立ちあが.....