田口

新潟から来た東京の大学2年生

隣の席の会話

ファミレスに来ている。

図書館で借りた文庫本を読みにきたのだ。

読み始めてすぐに女子大生であろう3人組が通路を挟んですぐ隣の席にやってきたのだ。僕は前髪をかきあげ、姿勢を正した。

そして約1秒ほどで全員の顔面に視線を巡らし、文庫本に向き直った頃にはすでに全員のことを好きになっていた。

今日は本を捲りにきたのだ。隣の女子たちに意識を向けている暇などない。

しかし、ここから僕は己の意志の弱さに失望するのであった。

読書を意地でも進めようとするも、こんなワードたちが僕の左耳をかすめていくのだ。

「バイトの先輩と2:2で合コンしてさあ」

「え、ツルツルの人なんて居なくない?」

「バックだと全然当たらなくない?」

ちょっと待てと。男たちのしょうもない下品ネタよりも、刺激の強いトークが繰り広げられているではないか。

本の内容はほとんど入ってこなくなっていた。

僕は本ではなく音楽に集中しようと思い、右耳にイヤホンをさした。

この時に両耳でなければ、会話の聞こえる左耳に付けたわけでもないのは、お前の行動の一貫性の無さとスケベ心の表れなんじゃないか。

そういう叱責はノイズキャンセリングさせてもらおう。

1時間ほど格闘した。

左耳から聞こえる女子たちの会話と、右耳から聴こえる僕のプレイリストたちで頭痛がしてきたため、ここら辺で僕は引き上げようとしている。

そして彼女らの会話の芯は大方理解したが、右耳からなんの曲が聴こえてきていたかは、全く覚えていない。

つまり僕の自制心は惨敗したと言うことである。

僕は今日気づいたことがある。

人間は下品な会話をするときには声量の大小の差が大きくなると言うことだ。

下品なワードを女性が公共の場で大声で話してしまうのは好ましくない。したがってワード自体を小声で言うことが多くなる。

しかし、皮肉なことにそう言う会話こそが20前後の我々を一番楽しませてくれるのである。

敢えて20前後とここでは記したが、僕が推測するに、おそらくアラサーになっても4.50になってもそれは変わらないのではないだろうか。

駐車しているチャリに紙が貼られる前に引き上げるとしよう。

 

 

ばあちゃんがくれたレトルトの牛丼

1週間ほど実家に帰省していた。

めんどくさくてブログの更新をしていなかったと思いきやそうでもない。

まず実家ではこのブログのことを思い出すことも少なかったと思う。

それだけ新潟にいる1週間が充実していたのかもしれない。

気づいたことがある。

それは、自分は1人でいる時間が長い時に、文章を書きたくなるということだ。

言い換えれば寂しいということだ。

そして、東京に帰ってきて2日目でこのページに飛んできてしまっているということだ。

 

 

自分は昔から比較的裕福な家庭に身を置いていた。父方の両親と二世帯住宅という形で暮らしているため、祖父母との交流は盛んだった。

今回実家に帰ったらまずテーブルいっぱいに料理が出され、1週間かけて、カニやら高い焼肉やらを食べさせられた。

じいちゃんと、父親の稼ぎが多少潤っているため、さぞばあちゃんも昔からそういうものを口にしているのだろう。

そんななか、ばあちゃんは自分が東京に帰る前日にこれ美味しい牛丼だから持って行きな。と渡され、自分はエコバッグ的な袋に入ったレトルトの牛丼を受け取った。

中身はあらかじめ知らされていたため、あえて確認はしなかった。

東京に帰ってきて、ふと荷物を整理していたら、そのことを思い出し、エコバッグから出した。

そしてそれは松屋の牛丼だったのだ。

 

 

教習所

今まで通っていた教習所を卒業した。

指導員に「上手だったね」と褒めてもらった。

謳い文句だとわかっていながらもまた大学の友達にこの事を自慢するんだろうなと思った。

教習所の近くには行きつけのファミレスがある。

行きつけになった理由はホールの大学生目当てだ。

毎回ナンパしようとして、ナンパしないで帰ってきてしまっている。この意気地なしが。

そして2人がけの席に1人で座り、2人分くらいの量を平らげ、それからこのブログをひらいている。

そうしながらまたホールの子を眺めてしまっている。このスケベが。

教習所を卒業したということは、このファミレスに寄るキッカケを手放してしまうということだ。

正直かなりの痛手だと思っていい。

今日は買ったばかりのトレーナーと、春にしては薄手のカーゴパンツを身につけている。正直きまっている。

それにしてもおかしい。

自分は、毎回同じ子に惚れているのではなく、来るたびに別のマドンナが僕を出迎えてくれているのだ。

そして今日も新たなマドンナが僕に小エビのサラダを運んできた。

これはここの店の店長が顔採用しているとしか考えられない。

そして、店長の女の子のタイプと、僕の顔のタイプは完全に一致しているということに寒気がしてしまった。この寒気は薄手のカーゴパンツから来るものとはまた別物だと確信した。

15時を過ぎた。

え、待って、あの子あがってんじゃん。うわ最悪。話しかけようと思ったのに。なんだよ、じゃあもう帰るわ。

 

ナンパ

一人称は僕にしようと思います。

友達といる時のナンパは至って簡単だ。

相手に嫌な顔をされて逃げられても、当然のようにフラれても、運良く連絡先を交換できても、僕が戻ってきた時には「お前すごいな笑、何やってんだよ笑」と、彼らは笑ってくれる。

僕の勇気と失敗は友達の笑い声へと昇華されるのだ。

だから、友達といる時の異性に話しかけるか否かみたいなアホな雰囲気の際に、僕はバカになれるのだ。

しかし、1人でいる時のそれはどうだろう。

友達といる時は、半分エンタメみたいなプラシーボ効果で1歩目を踏み出すことは容易だが、1人での1歩目は重たい。

なぜなら、失敗したら、その場では僕はただ女性にフラれただけの男になってしまうからだ。

お笑いにも消化されなかったそれは、帰り道の自分を十分に胃もたれさせる。

1人でナンパをしようとする時の1歩目は、皮のヴィンテージコートのように重たいのだ。

 

 

さあ、僕は今ファミレスに来ている。

どタイプの店員さんを目の当たりにし、僕の目線は仕方なくこの画面に逃げているのだ。

このままでは車の教習の時間が来てしまう。

早く1歩目を踏み出さなければ。

ヴィンテージのコートより、未来の自分に投資しろ

カラオケ

全く尊敬できない先輩がいる。

道にゴミを捨てるし、偉そうで、気分屋で、自分の絡んだ女の話ばかりする。

「金なさすぎて最近は彼女のヒモみたいになってるわあ」と口にしていたのを覚えている。

とにかく、この人を手本にしてはいけないと後輩の我々は皆、心に留めている。

そんな先輩を含む5人でカラオケに行くことになった。

自分はミスチルとか、福山とか、斉藤和義など、親世代の曲を選ぶことが多くある。

しかし彼もまた、その世代の曲を選ぶ傾向にあったのだ。

そして彼は、憎たらしいほどに歌が上手い。

今まで会った人の中で一番上手かもしれない。

しかし自分も下手ではない部類にいると思っている。

それでも彼の歌声には到底及ばなかったのだった。

自分の十八番を彼が曲選することが多くあった。

そして自分が彼の持ち歌を選んでしまい、「あー!それ俺が入れようとしてたのに!」と理不尽にわめかれることもあった。

自分の大好きな曲、歌うたいのバラッド、ずっと好きだった、スキマスイッチボクノート、などが、彼の黄ばんだ喉から清流のように流れた。

僕の好きな十八番たちは彼の美声によって汚されていったのだ。

喫茶店の音楽

ある半地下の喫茶店にはいった。

60周辺くらいのおかあさんがマスターをしているこぢんまりした空間だった。

入ってみると軽く音楽が流れていて、頭の中で再生されていた大阪loverから聴いたこともない洋楽に切り替わった。

夕方からお酒を飲んでいるお年寄りの集団が店奥にいた。

アイスコーヒーと、バタートーストを注文し、自分は読み途中の文庫本をめくり始めた。

物語が山場に差し掛かるところで、店内に流れる曲もアップテンポになった。

それに合わせて活字を追う速度も上がった。

そしてヒロインに起きた悲劇を主人公が知る場面で、ちょうど宇多田ヒカルのFirst Loveのイントロが流れ始めた。

読み終える頃にはおじいさま方の椅子を引いて店をあとにしだす物音が流れていた。

さて、もう3時間近く居座ってしまっているではないか。バイトもある。

こんな書き物は早く切り上げて店をあとにしなければ。

僕の頭の中では蛍の光がすでに流れていた。

身近で遠い存在

あるファミレスでバイトをしている。

基本的な仕事は大体こなしており、料理が出来上がるまでの工程や、お客様に提供されるまでの手順も全て把握している。

そんな自分はキッチンを任されることが多くある。

ファミレスなんてほとんどが、完成系の料理をチンして終わり。なんてイメージがあったが、意外にそんなこともなかった。パスタなら、麺を茹でるところから、鍋でソースを温めて、盛り付けまで自分でやらなければいけない。

従業員は、休憩時間や勤務終了後などに、社割と言って、半額でお店のメニューを食べることができる。

みんなこぞってそのシステムを利用しているイメージだが、自分は社割を食べることがいまだにできていない。そしてその理由を自分でたしかに把握しきれているわけでもないようだ。

料理工程を全て知っている。他人に社割を頼んでいると知られることが嫌。

こういった理由で避けている部分も確かにあると思う。しかし、それだけが自分が社割を頼まない理由ではないような気がする。

しかし、核の部分は今の自分に言語化することはできない。

なんかいやだ。

これが今の自分の精一杯の表現だ。

このようなことで、自分は社割を一度も食べたことがない。

そしてもちろん、プライベートで自分が勤めている店に行くことなど到底できない。

こうして大学生の自分は最寄りのファミレスという重要アイテムを失いながら生活しているのである。

いつも仕込みをして、鍋の上で混ぜ、客席に運んでいる。そんな料理たちから自分は、自意識という壁によって敬遠されているのである。

赤、緑の差し色が入った看板を街なかで見かけるとついつい反応してしまうのがここ一年の自分である。